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ノート:ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)

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改名提案

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本稿の記事の題名をブルグンド朝からボルゴーニャ王朝 (カスティーリャ王国)への改名を提案します。理由はブルグンド朝と言う名称はドイツ語風なので、現地語読みにボルゴーニャ王朝の方が相応しいからです。ただ、そうなるとポルトガル王国ブルゴーニュ王朝と同じ読み方なので、こちらもボルゴーニャ王朝 (ポルトガル王国)へ改名した方が宜しいと思いますが。--220.208.132.58 2009年2月22日 (日) 09:57 (UTC)[返信]

名称については、起源を重視して「ブルゴーニュ(王)朝」とすることも考えられます。山川出版社の「新版世界各国史16 スペイン・ポルトガル史」や「世界歴史体系 スペイン史1」の系図では〈ブルゴーニュ(ボルゴーニャ)家〉と書かれています。また、この王朝はポルトガルの王朝と比較して言及されることが少なく、平等な曖昧さ回避化する必要まではないと考えます。--モンゴルの白い虎 2009年3月1日 (日) 07:15 (UTC)[返信]
一向に議論が進まないので、ひとまず打ち切りで処理しておきます。なお、他にイヴレア家の記事にする方法も考えられるということを付け加えておきます。--モンゴルの白い虎 2009年3月27日 (金) 03:42 (UTC)[返信]
イヴレア家とボルゴーニャ(ブルゴーニュ朝)は別々に分けるべきだと思います。前者がイタリア・ブルグントの諸侯に対し、後者はカスティーリャの王朝だからです。カペー=ブルゴーニュ家ブルゴーニュ王朝ブルボン家スペイン・ブルボン朝と分ける例もありますし。また、リトアニア=ポーランドのゲディミナス朝ヤギェウォ朝も同じ一族ですが、それぞれ別記事があります。以上のことを考えますと、イヴレア家とボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝は別々にすべきだと思いますが。--220.208.132.40 2009年4月26日 (日) 10:02 (UTC)[返信]

Category:イヴレア家について改名提案を行っています。連動して本項についても議論を再開したいと思います。--モンゴルの白い虎 2009年7月28日 (火) 13:23 (UTC)[返信]

イヴレア家は本来はイタリア・ブルグント家を支配した一門のことを指しており、カスティーリャを統治したボルゴーニャ(ブルゴーニュ)家はイヴレア家全体からすれば分流に過ぎません。ここで参考になるのがドイツヴェルフ家です。この一門もドイツのブラウンシュヴァイク諸公国家、イギリスのハノーヴァー朝、イタリアのエステ家と言った分家を多数輩出していますが、それぞれのページがあります。また、ハノーヴァー朝の次の王朝であるウィンザー朝ザクセンヴェッティン家の分家ですが、そのヴェッティン一門も、ザクセン=コーブルク=ゴータ家、そしてウィンザー朝の各ページがあります。以上のことから、ヴェルフ家やヴェッティン家のように、イヴレア家その物とボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝は別記事にすべきだと考えています。前述した通り、カスティーリャを統治した一門はイヴレア家の分家ですので(これは同時期のポルトガルのボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝も同様です)。
私個人としては現地語読みにボルゴーニャ王朝 (カスティーリャ王国)にすべきだと考えています。--220.208.132.40 2009年7月29日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
先に示したのは、こういう案もあるというものです。分割については別途議論するものとして、あくまでカスティーリャとレオンの王朝の記事として記事名を考えるという点については賛同します。ただし、イヴレア家=アンスカリ家との関係はしっかり示しておかないといけません。本記事の初版では大きな誤解があったようですが。
ただ、「王朝」か「朝」かは些細な相違ですが、スペイン語名で「ボルゴーニャ」とするかフランス語名で「ブルゴーニュ」とするかは意見が分かれるところでしょう。また、私はレオン王国についても無視できないと感じていますので、例えば「ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ・レオン)」といった具合にすべきではなかろうかと考えています。--モンゴルの白い虎 2009年7月30日 (木) 11:18 (UTC)[返信]
スペイン語版では()の中にスペインと記されています。--220.208.132.60 2009年7月30日 (木) 12:57 (UTC)[返信]
「カスティーリャ・レオン」だと現在の行政区画カスティーリャ・レオン州と結び付けられる可能性もありますし、また王朝名であることが明確なら「王国」は不要と考えられますので、「カスティーリャ」を用いる場合には (カスティーリャ) とすれば良い、と考え方を改めます。--モンゴルの白い虎 2009年8月4日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

1対1?で意見を出しあっているだけで結論が見出せませんので、現行記事名は暫定とした上で一旦打ち切りとします。--モンゴルの白い虎 2009年9月2日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

改名提案(再)

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本記事をアンスカリ家に改名することを提案します。記事内容が家系の始祖から扱っている以上、誤っているわけではありませんし、イベリア半島の王家ないし王朝の記事名にしようにも適当な記事名が定まらないとあってはどうしようもありません。--モンゴルの白い虎 2010年5月8日 (土) 14:41 (UTC)[返信]

Category‐ノート:アンスカリ家などの議論から特に進展があったわけではないのですね。現状の記事名が不適切であることには同意しますが、適当な記事名が定まらない時は改名に慎重になるべきです。Wikipedia:改名提案ではなく、Wikipedia:コメント依頼で意見を広く募る方が先では?--Flénu 2010年5月9日 (日) 14:47 (UTC)[返信]
2009年8月に1度、コメント依頼は出したのですが、全く反応がありませんでした。とりあえず再度出してみますが。
今回の提案に関して付け加えると、単なる改名だけでなく、アンスカリ家全般の記事に構成を変更することを念頭に置いています。--モンゴルの白い虎 2010年5月9日 (日) 16:25 (UTC)[返信]
アンスカリ家という表現にも個人的に違和感を抱いていますので、全て出典に基づいた議論ができることを期待してます。--Flénu 2010年5月10日 (月) 13:59 (UTC)[返信]
私は寧ろ本ページからアンスカリ家ないしはイヴレア家のページを分割作成すべきだと思います。他言語リンクを見てみますと本ページと同じカスティーリャのブルグンド朝について書いてあるのは、本家スペイン語版のes:Casa de Borgoña (España)ぐらいなもので、残りは一族の旧ブルグント王国統治の歴史に重点を置いた内容になっています。本来のアンスカリ=イヴレア家は旧ブルグント王国を統治した一門のことを指しており、スペインを統治したのは分家に過ぎません。同時代のポルトガルのブルゴーニュ王朝ブルゴーニュ家の関係と同じように、新たにアンスカリ=イヴレア家のページを分割作成した方が妥当だと思います。なお、他国語版のカテゴリーではカスティーリャのブルグンド朝一門を扱ったものが作成されており、その名称が英語版ではen:Category:House of Burgundy-Spain、スペイン語版ではes:Categoría:Casa de Borgoña (España)、フランス語版ではfr:Catégorie:Maison d'Ivrée en Espagne、ハンガリー語版ではhu:Kategória:Burgund-Ivreai-házとそれぞれなっています。改名について何らかのヒントになると思います。--220.208.132.60 2010年5月10日 (月) 15:09 (UTC)[返信]
他言語版は参考にはなっても決め手に欠くので今の状況になっているわけですし、今回の改名案はリンク先自体の変更もともなうことになるので、あまり意味がありません。それと、この家系はブルグンド王国を統治したわけではありません(こういう誤解を避ける意味でも改名自体は必要でしょう)。分割となると、適切な記事名を2つ決めなければならないという、考えようによってはさらに困難なことになるので、現状では気が進みません。ただ、家系全体をブルゴーニュ=イヴレーア家と総称する方法はありますね。その点はヒントになりました。--モンゴルの白い虎 2010年5月11日 (火) 00:00 (UTC)[返信]

この問題のやっかいなところは、日本語文献にこの家系の家名に関する記述がなかなか見当たらない点にあります。「アンスカリ家」も、イタリア関連の記事の翻訳を多く手がけてこられたCiroさんがカテゴリ名に採用したのを一応信用しましたが、日本語文献での使用例を確認したわけではありませんし、別称であるはずの「イヴレア家(イヴレーア家)」についてCiroさんに「よく分かりませんが」で片付けられてしまったことを考えると、このままこれを採用して良いものか、不安になってきました。

現行通り、イベリアの王朝の記事として改名するなら、確かにこの問題は回避できます。山川出版社の書籍という典拠を示せますから。考えてみると、細かい点をどうするかで自分が次々と案を出していったのが、話がまとまらなくなった一因ですから、案を一つに絞って、それで合意を得る形にします。

  • アンスカリ家(または他の記事名)に変更して、アンスカーリオ1世に始まる家系全体の記事に構成を変更する、という当初の案は撤回します。
  • 現行の記事の構成を維持したまま、ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ) へ改名する、という案を新たに提示します。フランス語の「ブルゴーニュ」を採用するのは、ルーツの重視と、山川出版社の書籍においてこちらが優先されているという点を理由に挙げます。
  • 記事の分割は行いません。行うべきだということであれば、改名問題が決着した後に別途分割提案をお願いします。

--モンゴルの白い虎 2010年5月22日 (土) 11:41 (UTC)[返信]

ブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)への改名案に同意します。当初、私は現地語読みの“ボルごゴーニャ”に拘っていましたけど、今では“ブルゴーニュ”でも良いと思っています。と言うよりも“ブルゴーニュ”の方が寧ろ適切だと思っています。ただ、本頁をブルゴーニュ朝 (カスティーリャ)に改名する際には同時にポルトガルのブルゴーニュ王朝ブルゴーニュ朝 (ポルトガル)と変更した方が良いでしょう。--220.208.132.43 2010年5月24日 (月) 14:35 (UTC)[返信]
繰り返しになりますが、平等な曖昧さ回避の必要は認めません。ポルトガルの王朝に比べてカスティーリャの王朝は資料における言及が格段に少なく、そのためにこの問題自体も長引いているのですから。--モンゴルの白い虎 2010年5月24日 (月) 14:40 (UTC)[返信]

1年以上にわたって断続的に続いてきた議論に一応の結論が出ましたので、上記の通りに改名します。引き続きカテゴリ:イヴレア家の改名提案を行う予定ですが、ブルゴーニュ王朝の改名については扱いませんし、仮に提案があった場合には反対であると重ねて表明させていただきます。--モンゴルの白い虎 2010年5月26日 (水) 11:25 (UTC)[返信]